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▼天元台高原の水源

天元台高原の水源/

昭和12年(1937年)、日本と中国との全面戦争となった日華事変が始まり、戦いは8年間もの長きに渡りました。戦いが長引くほど硫黄等の軍需品が大量に必要とされるようになりました。一時は、硫黄の月産が数百tfを超え、従業員も500名以上に急増しました。昭和15年(1940年)から、鉱山労働者の住宅や製錬工場が増設され、診療所も作られました。天元台は、坑夫とその家族を合わせて1,000人を超えるようになっていました。

とあります。天元台と言われる前の話です、子供たちの為、米沢市立関小学校大笠分校が開校し、鉱山労働者の子供達はそこで学ぶことになりました。
 また、鉱物輸送のための架空索道も袈設されました。それは、天元台から関根駅までの約11kmに及ぶものです。米沢市街地からは、白布高湯温泉までの定期バスも運行されるようになります。 最盛期は昭和32年(1957年)の頃です。硫化鉄鉱、約12,000tf、精製硫化鉄、約5,000tfを産出したと記されています。吾妻硫黄鉱山と呼ばれていた頃は、鉱夫やその家族、約2,000名が住んでいたそうです。学校もあり、町と言ってもいいレベル。その暮らしを支えた水源が西吾妻地蔵倉水源です。標高1,555m 西吾妻の岩盤より湧き出るその水は年間を通し同じ水量。以前温度計ったら6℃でした、現在、その水源を使っているのは、新高湯温泉 吾妻屋旅館と天元台高原とペンション(かもしか、パル、エーデルワイス、こまく・・さ、アミティエ)です、その水源写真、昨年5月31日に水源清掃で撮影したものですが、この2月に断水となりました、今までになかったことです・・今年は過去にない大雪、そのことだけが原因ではないと思いますがね・・

その調査で水源取水箇所は流れていることを確認、ついで、その中間貯水槽には来てないところまで確認、その後、臨時休業を行いながら調査継続するも、復旧の見通しがたたず、営業内容を縮小し対応させていただいている。せっかくの晴れ日和も運休で天気晴朗なれどお客は無しです(2枚目写真)・・なんかもったいないですがね・・春を待つわけにもいかず、仮でバイパスの水道工事をやる方向で検討している・・早く復旧を願うばかりです。

 


2025/03/16 07:30 (C) Atelier Li-no3
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